鴨川和棉農園の田畑健さんのことは前から関心を持っていました。日本綿の品種を絶やさずに次代に伝えようと栽培を続けている方だと聞いていたからです。
ところが田畑さん発行の「わたわたコットン」という冊子を拝見して、田畑さんのわた栽培が、ガンジー思想に共鳴した新しい暮らし方の提案だったことから、私の遠い記憶を蘇らせることになりました。そして、この本との出会いから、わた屋の私の、わた還りへの思いがいっそう確信になってきたようです。
それはもう40年以上も前のことです。ガンジーと共に、インドの植民地解放運動に参加した日本人のお坊さん方と知り合いました。そして彼等から、英国軍に対するガンジーの非暴力、不服従運動の勝利を熱っぽく聞かされました。その中のお坊さんの一人がたぶんチャルカ(糸車)であろう物の話しをしきりにしていました。またそのお寺で小さな糸車のような物を見た記憶もあります。
だけどその時の私はそんな原始的なものには興味はなく、ガンジーが貧しい人々に仕事を与えた、ぐらいの理解でしかありませんでした。
それが40余年後、この冊子からお坊さん方が伝えたかった思いに気づくことができました。チャルカを人々に奨励したガンジーの思いがやっと理解できたのです。それはわた屋である私が、原点である「わた」への回帰に気づき始めていた時期であったからかも知れません。
わた屋の原点に還る
日本のふとんわたのほとんどはインドから来ています。産地によって微妙な品質の差があり、アッサム、ゼッペル、ベンガルデシンなどなど、地名が原綿の特徴を表しています。その特徴を引き出して、最良のふとんわたを作り、ふとんに仕立てるのが私たちの仕事です。ふとん仕立ても美しく仕立てるには何年かの修行がいります。
昭和40年代まで、わた屋はどんな町にも何軒かあって、それぞれ繁盛していました。私が母の急死で店を引き継いだ頃のことです。その後大量生産、大量消費の激流の中で、安い合繊や化成品に押され、わた屋⇒蒲団屋⇒寝具店⇒寝装店⇒リビングショップ──と変遷しながら、小さな町のお店の多くが消えていきました。また、原点であるわたとの距離も遠くなるばかりでした。
わたのリサイクル運動
しかしわたへの回帰がようやく始まろうとしています。それはゴミの処分問題が契機になりました。使い捨てられるふとんの量が他を圧して多く、処分場の不足やダイオキシンの発生など、環境問題になってきたのです。
私たちの原点であるコットンふとんは、手工業、手作りで続けられ、特に大量生産に馴染まなかった関係から、長い間低い評価を受けてきました。しかしコットンふとんには「打ち直し」という伝統のリサイクルシステムが引き継がれています。ふとんは打ち直しを繰り返しながら、大切な資源として再生されて今日に続いているのです。
1999年2月、私ども東京都江東区の4軒のわた屋で「江東区ふとんリサイクル推進協議会」を設立し、ふとんリサイクルの啓蒙運動を始めました。
実はふとんの打ち直しは、現在でもわた屋の主要な収入源なのです。例えば東京都では年間52万枚の古ふとんが捨てられていますが、私どもわた屋でもこれ以上の数量のふとんを、打ち直してリサイクルしているのです。
ふとんはリサイクル出来る。それは江戸時代から継承されたリサイクルシステムであるという、私どもの訴えは、新聞、テレビ、ラジオ、環境誌などに取り上げられ、多くの反響がありました。「やっぱり打ち直しすることにしたわ」と戻ってきたお客さまも少なくありません。
チャルかに託された思いに気づく
ふとんリサイクル運動は、わたへの回帰を通して、大量消費型社会から物を大切にする資源循環型社会へ、グローバル経済から地産地消の地域循環社会へ回帰して欲しいという願いが込められています。それが町のわた屋の存在条件に他ならないからです。
長い間、効率だけを追い求めて来たための歪みが社会のあちこちに起きています。ガンジーは機械文明の行方の悲劇を予見し、糸車を回し続けることに未来を託していました。
私は地球に優しく、人に優しい、コットンわたのふとんを作り続けていくことが、ガンジーがチャルカに託した思いに通じていることに気づきました。物よりもこころを大切にする、新しい文明を夢見て、これからはいっそうコットンふとんに比重を移していきたいと思っています。
──わた・わた・コットン3号より転載
[注]チャルカ=原始的な糸車のことで、ガンジーが下層貧民の自立のために使用を奨励した。
ガンジーは産業の機械化は貧富を招き、人々を不幸にするもととし、自給自立による共存社会を目指した。インド国旗の中央の丸い車はチャルカを表しています。
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